2012年04月17日
「話し合う」より「聴き合おう」
私の大好きな「エンパワーリング」の上村光典さんの言葉から・・・
いかがでしたか?
あらためて「聴く」ことの意味について考えて、日ごろの自分の姿をふりかえることができました。
上村さん、ありがとうございます。
感謝
「話しあおう」
とするから
アカンねん
「聴き合おう」
としてみ
いっぺんに
ようなるわ
私があまり好きでない言葉に「ディスカッション」というのがあります。
ディスカッションの語源は、打楽器=PERCUSSIONや脳震とう=CONCUSSIONと同じで、“叩く”とか“物事を壊す”という意味があります。
また「討論」という言葉も、あまり好きではありません。
これを辞書で引くと「ある事柄について意見を出しあって、議論を戦わせること(大辞泉)」とあります。
まあニュアンスと、受け取り方ですが、何となくすべて「叩き合う」「戦う」ような感じがあって、好きではないのです。
それに代わって、昨今組織開発などで、登場する言葉が「ダイアローグ=対話」です。
元々、語源は「意味が流れる」という意味なのですが、こちらの方が「お互いの間に、流れやつながりが生まれそう」で、個人的には非常に好ましいと感じています。
そしてディスカッションや討論ではなく、ダイアローグ・対話にするために必要なマインドセットは、「『話し合う』ではなく『聴き合う』こと」だと思います。
つまり
・相手の方は、本当に言いたいことは何か?
・そう言っている、本当の理由や背景は何か?
・相手の方の、本当のニーズやウォンツは何か?
・相手の言っているや、その本質的理由や背景の中に、少しでも共感できることは何か?
そんな「問い」を持ちながら全身全霊で聴く、それが大切だと思います。
そして私が、どんな相手と向きあう時も、一番「共感しようとしている」のは、「誰もが『自分を守りたい』というニーズから話をしている」と思いながら聴くことです。
私にとっては、どんなおかしな、どんな理不尽な意見であったとしても、その人はその考えや意見や主張をすることで、「自分の何かを守りたい」のですね。
これは動物としての人間が持つ、「生存のための防衛本能」なのです。
犬が自分のナワバリに何かが来たら、自分を守るために吠える、これとまったく同じメカニズムなのです。
そのことに深い理解と、慈しみの心を持てると、「聴こう」という姿勢が生まれやすくなります。
だから、相手の意見が自分にとって受け入れられないものであるほど、「そうか、この人はいま自分を守ろうとしているんだなあ」と慈しみ・赦しの心を持って向き合うにしています。
もちろんそう思えないことの方が多いくらいですが、それでもまったく何もしないより、はるかに効果があります。
少しでも共感していただけるならば、そんな風に思いながら、人の話を聴いてみていただいてはいかがでしょうか。
いかがでしたか?
あらためて「聴く」ことの意味について考えて、日ごろの自分の姿をふりかえることができました。
上村さん、ありがとうございます。
感謝
Posted by sachiko at 09:17│Comments(0)
│さちこのティータイム